私は近所の国立大学で外国人労働者のための日本語教室でボランティアを始めました。
私は地方に住んでいましたが、実家の近くには、一つの国立大学がありました。
そこには東南アジアを中心とした留学生がたくさん勉強をしに来ていたのですね。
多くの留学生は、日本語ではなくて英語で会話をしていました。
また授業も英語で行われるということもあり、まったく生活の中で日本語を使う機会もなく、また必要なかったと言います。
その大学には日本語教師になるための講座が開かれており、学生でなくても一般人が参加して勉強することが出来たのです。
私は、もともと外国にも興味がありましたし、いずれは日本語教師に…という希望もあったので、通っていたのですね。
日本語教師になるには、既定の受講時間があったので、それをクリアして試験を受けなくてはなることが出来ません。
しかし私はときどき、その大学の中の外国人のための日本語教室にボランティア通うことにしたのです。
そこには外国人労働者もいたのですが、日本語は上手ではありませんでした・・・
その日本語教室は、日本語を学びたい学生だけでなく、その家族や工場などで働く外国人労働者にも開かれていました。
そのため日によっては教室がいっぱいになるほど、外国人が来ることもあったのです。
その中の一つのグループに入って、主に会話の練習の相手になっていた私。
そのグループの中には、新しく入ったばかりで、まだ日本に馴れていないというミャンマー人の外国人労働者がいました。
ほかの生徒さんはだいぶ上達していたので、会話は問題なく出来るのですが、そのミャンマーの方は、何をするにも日本語で説明するのが時間がかかりました。
ところが、出来ないところは次に会うとマスターしていた!
でもそのミャンマーの外国人労働者の方々の凄かったところは、教えてもらったところを次の時には完璧にマスターして日本語を覚えていたということです。
私はこの時に外国人労働者の人たちって、本当に努力家だし、日本の習得が早いなと感心しましたね。
彼は外国人労働者として日本に来て、この教室に来るまでは一人ぼっちだったと言います。
しかし日本語教室に来て友人が出来、刺激をうけ、日本を学び、本当に生き生きとしてきたのです。
言葉の壁を超えると人と人とのコミュニケーションの扉が開かれる。
彼が少しずつ日本語を話せるようになると、今度はミャンマーのことを教えてくれるようになりました。
特にミャンマーの水かけ祭りの話は面白かったですね。
またヤンゴンのこと、シュエダゴンパゴタという仏塔のことも面白かったです。
私にとってミャンマーという国は未知の世界でした。でも彼からいろいろと教えてもらって、ミャンマーのことを知り、いつか行ってみたいという目標もできました。
日本と文化が似ているところもあって、興味惹かれる国です。
いつか私もこの目で見てみたいと思っています。
真面目で楽しいミヤンマー人の彼は、その後職場にはなくてならない存在になったようです。
どちらから歩み寄るかは、問題ではなく壁のようなものが感じられなくなった時に、人間と人間の関りが生まれるのだなと思いました。
彼はきっと自らの力で職場の皆さんとの壁を取り去っていったのでしょう。
今でも忘れ得ぬ、とても爽やかな体験でした。
外国人労働者雇用~社会保険、労働保険の仕組み~のことならお気軽にご相談下さい。