前回の第1回は、カカオについて触れました。第2回の今回は、チョコレートの歴史について紹介していきます。
【チョコレートの歴史】
「メキシコおよび中央アメリカ」
カカオは紀元前2000年頃にはすでに、メキシコおよび中央アメリカで栽培されていたといわれています。カカオからチョコレートを作り出したのは、紀元前1200年頃に興ったオルメカ文明の人々という説が有力です。カカオ豆は大変貴重で、貨幣として流通するほど珍重されていました。オルメカ文明が廃れていった後も、マヤ文明やトルテカ文明と、カカオ豆の文化は受け継がれていったようです。
「アステカ帝国」
アステカ帝国時代、カカオ豆は税、もしくは貢物として皇帝に納められていました。カカオ豆は通貨としてだけではなく、不老長寿の薬としても飲まれていました。カカオ豆をドロドロになるまですりつぶし、その中にバニラやトウガラシといった香辛料を入れていたと伝えられています。とても苦い飲み物でしたが、同時にとても高価な飲み物でもありました。飲むことができるのは、高貴な地位にいる人だけです。中でも皇帝モンテスマ二世は、黄金の杯で一日に50杯も飲んでいたそうです。
「スペイン」
最初にカカオに出会った西洋人は、コロンブスだといわれています。しかしコロンブスはカカオに興味を示さなかったそうです。その後、アステカ帝国を征服したコルテスがカカオ豆を持ち帰り、スペイン国王カルロス一世に献上しました。スペイン宮廷にチョコレートは受け入れられ、上流階級の間で流行しますが、しばらくは苦い飲み物のままでした。やがてチョコレートからトウガラシがはずされ、修道士の考案により砂糖が加えられます。
スペインはこの頃、中央アメリカを支配していたため、カカオ豆が手に入りやすくなります。さらにアフリカ人の奴隷を使い、カカオの栽培も始めます。スペインではチョコレートが普及しますが、このことを秘密にしておいたため、広がるのはスペイン国内だけに限定されました。
「フランス」
フランス宮廷にチョコレートをもたらしたのは、ルイ13世のもとに嫁いできた、スペイン王女アンヌ・ドートリッシュでした。彼女はチョコレート好きだったため、フランスまで持参したのです。さらにルイ13世の息子、ルイ14世もスペイン王室から王女マリー・ルイーズ・ドートリッシュを迎えたときには、彼女もチョコレートを持参し、専門の料理人まで連れてきました。こうしてフランスの宮廷にチョコレートが広がったのです。
この続きは次回、第3回にてお届けします。
出典:http://www.photo-ac.com/ 写真ACさん